歯医者もむし歯も少ない国
ニュージーランドの12歳児の永久歯のむし歯本数(DMF)は、96年現在で1.5本。93年の日本の3.64本のほぼ四割だ。同年齢でカリエス・フリー(むし歯ゼロ)がどれだけいるかを比べると、ニュージーランド(92年)47.5パーセントに対し、日本(93年)は16.1パーセント。だからこそ、高橋由妃さんのきれいな永久歯列をテレビで紹介しなければならなかった。ニュージーランドでは、
そもそもあの『クローズアップ現代』のような番組など放映は不必要なのだ。番組のタイトルが「変わりはじめた歯科医療」だったけれど、ニュージーランドの歯科医療はもうすでに変わってしまつたあとである。
ニュージーランドは面積27万平方キロ、人口(96年)359万2OOO人の小国で、歯科医師数1277人。人口10万人あたりにして35.6人。日本の67.8人に比べて半分に近い。歯医者が少なくてむし歯が少ないのだから、まさに理想の国だ。
日本の歯医者はいったいなにをしているのか。第二章でも触れた東北大学歯学部予防歯科の田浦勝彦講師のまとめたデータをもう一度見ると、55年から96年までのあいだに、日本の歯科医は31109人から85518人に増えた。
それに対し、一人あたり健全歯数(永久歯)は59年の16本から92年の12本弱に減り、逆に一人平均処置歯数(永久歯〉は3本から8本弱へと増えた。
処置歯とは歯医者が削ったりセメントなどを詰めたりしたむし歯である。
だから、現象面を見るかぎり、歯医者が増えると健全歯が減ってむし歯が増える
しかも、歯医者が処置、いいかえると治療(?)費をかせいだむし歯が増えることを意味する。極論すれぱ、日本の歯医者はむし歯をつくつて、メシを食つていることになる。ニュージーランドは、73年から96年までのあいだに、12ないし14歳児の永久歯むし歯本数が11本弱から1.5本に激減した。日本とはデータのとり方が違うにしても、ニュージーランドの虫歯は7O年代始めには日本よりずっとひどかったのに、96年にはすっかり逆転した事が容易に読みとれる。

学校歯科保健婦の歴史を読む
鉄道が少ない国だけれど、ダニーデンには駅があり、列車が1日数本発着する。鉄道は通勤の足ではなく、観光用である。駅のすぐそばに、オタゴ入植者博物館が建つ。四メートルほど歩いたら、昔の歯医者の診療室のディスプレーがあり、
思わず釘づけになってしまった。説明文を見て、1921年から制度化された学校歯科保健婦の診療室の復原であるとわかった。診療室は学校にあり、学校歯科保健婦はもつぱらむし歯の予防処置をして、歯科医を助けたのだ
時代が下り、WHOは72年から74年にかけて、ニュージーランドを含む七か国で歯科国際共同研究を行った。日本も加わつた。
調査項目のひとつに、35歳から44歳までの無歯顎者、つまり歯が1本もない人の数があつた。ニユージーランドの場合、36パーセントも無歯顎者がいた。日本は1パーセントにすぎなかつた.身のまわりの人を頭に浮かべても、この年代で自分の歯が一本もない人はちょつと思いあたらないから、1
パーセントという数字は妥当である。それにしても、ニュージーランドの36パーセントはあまりにも多すぎる。共同研究参加七か国中で最高を示した。学校歯科保健婦の努力がまるでウソみたいではないか。
嫁に来るときは総入れ歯でという奇習がまだ完全に払拭されていなかったからかとは思うが、それだけでは説明しきれないような気がする。
この調査にはほかにもうひとつ、同じ年齢層の一人あたり平均DMF歯数、つまり抜いたり抜けたりした歯と処置または未処置むし歯の合計数という項目があった。ニュージーランドは22.0本で7か国中5位、トツプはなんと日本で10.8本を示していた。いまでは信じがたいことだが、当時の日本人は歯がたいへんよかった
WHOは80年に東京でシンポジウムを開いた。WHO歯科保健部長パームス博士は、ニュージーランドの学校歯科サービスは歯にものを詰める修復処置が中心で、予防をあまりやらなかった、また成人になると口腔衛生を考えなくてよいという傾向が強かった、世界に誇る学校歯科保健婦制度をつくりあげた国でありながら、国民の歯の健康は世界最低クラス、などと批判した。もっとも、この80年の時点でニュージーランドは、以下に述べるように、すでに76年に治療から予防への大転換をしていた。バームス博士は、それ以前になされた歯科国際共同研究を踏まえて、ニュージーランドの,旧体制"を批判したのだった。

治療から予防に変わった
クール・デンタル・セラビスト=SDT)と呼ばれる。
「それまでの歯科医療は治療が中心だつたのが、予防が中心になつたんです。むし歯に対する見方が変わりました。むし歯は少しずつ進行するということがわかった。歯の組織を大きく削つてとっていたのが、そうでなくなった。削らないし、アマルガム充填をしなくなつた。いまでも、アマルガム充填する
ことはしますが、小さい穴や割れ目の場合はもうしないのです。かわりにGICという複合材料やシーラントを詰めます。これらのなかにはフッ素を放出するものもあります」ニュージーランドの歯科医療関係者は、72年の二度目のWHO調査の結果にすっかり叩きのめされた。しかし、この国は変わり身の速さを身上とするらしく、ラッタさんが経験したように、すぐ路線を予防中心に切りかえて成功した。
GICやシーラントを詰めた歯はむし歯に数えられないが、アマルガム充填した歯はむし歯とされる。したがって、アマルガム充填しなくなった分だけ、少なくともむし歯は減る。ニュージーランドの子どものむし歯、特に処置歯の数は73年から77年のあいだに激減した。これを見かけの減少ではないかと軽視するのは考えものだ。充填した歯は遅かれ早かれ、充填物と歯とのすき間などに細菌感染が起こり、
二次的なむし歯が進行して歯がだめになる。GICやシーラントなら、そういうことは起こらない。日本での調査ではあるが、歯の修復物の平均寿命は、アマルガム充填7.4年、レジン充填5.2年、インレー5.4年、鋳造クラウン7.1年、ブリッジ8.0年、ジャケット冠5.9年、継続歯(一部欠損した歯に継ぎたす人工歯)5.8年といわれる。いくら金をかけても、10年はもたないわけだ。
そこで、シーラントやGICの寿命が気になる。それを調べた研究はないが、アマルガムなどより寿命は短い。しかし、接着性が非常に強いので、小部分だけが欠落しても、その部分だけの補修で問にあう。他の材料だったら全部取って削り直すことになる。

「小さい子には特に食生活の指導が大切です。なかには子どもにキャンディを与える先生がいたりしてほたらセラピストがやめさせます」
診察が終わると、模型の歯を取りだして歯の磨き方を教える。診察室を出る子どもに、歯の知識を書のがいけないなど、再石灰化理論を踏まえた内容が記されている。医者がくれる子ども用の薬は甘くしたのが多いから要注意とあり
歯ぐきから出血しても歯磨きをやめずに続けなさいと子どもの歯周病を警告しているのも印象的だ。子どもの歯はどんどんよくなり、12歳児の永久歯のむし歯本数(DMF)は、94年に1人平均1.3本にまで減った。それで学校歯科治療はあまり手を掛けなくても良くなった。ところが、94年を底に、むし歯本数は95年1.4本、96年1.5本とじわじわ増え始めた。ラッタさんはその原因を指摘する。
30代の貧しい母親と子ども1人の母子家庭で、母親の教育程度が高くない
家族のサポートがなく孤立している、そういう家庭で牛乳より安いからとコーラやジュースばかり子供に与える、ボトル・ケリーズ(哺乳びんむし歯)というんですが、哺乳びんにジュースやチョコレートミルクを入れて子どもの口に含ませ、これで泣かないようにして、飲みながら寝かしつける。それで虫歯になるんです。
数年前ですが、赤ん坊のおしゃぶりにハチミツを塗って販売した業者がいて、
むし歯になるではないかと問題になつたこともあります」
ラッタさんは患者の無理解にお手あげの状態である。
「子どもの指導だけではだめなので、親にいろいろなものとかデータとかを渡すんですが反応がよくない。やろうと努力するけど、できない人が多いというべきでしょうか」「こどもにコーラを飲ませるなんて、親に対する教育がないからです」と、開業歯科医のマリリン・ロノソンさんは、歯医者の責任を感じる

「だめな歯医者はすぐ削る」から